難しい判断2008/06/09 23:01:37

 昨日の秋葉原の通り魔事件は、無残だった。
 犯人が取り押さえられた現場を見ていた人が、「ナイフと警棒でやりあっていたけど、(最後に)『撃つぞ』と言ったら、ナイフを落とした」と言っていたのを聞いて、「撃っちゃえばよかったのに」と思ったのは私だけじゃないだろう。

 最近の殺人にありがちな「世の中が嫌になったので、誰でもいいから殺したかった」みたいなこと言っているようだけど、誰でもいいなら自分を殺しちまえ!と心底憎しみを感じるが、こういうことを聞くと、先日、何かで読んだ、量刑のことを考えてしまう。

 他人の命を理由なく奪うような奴は、殺した相手が一人だろうがなんだろうが、死刑にしたって構わないと思っているのだけど、その記事に「死にたいと思って他人を殺す人に、死刑を適用しても、それはその人の希望を叶えるだけで、正しい刑罰なのだろうか? そういう人には、“生かす”ことこそが刑罰なのではないだろうか?」と書かれていたのを読んで、「確かに・・・」と思うようになった。
 遺族の意志も大事だけど、彼らが時間が経つにつれ、ただ殺してやりたいという気持ちだけでなくなるのであれば、犯人が「死にたい」と思っているのであれば、「生かす」ことを償いとさせ、「死にたくない」と思っているのであれば、「死」で償いをさせるのがよいのかもしれない。

 でも、ひとつ懸念としてあるのは、「生かす」ことを償いとさせたとしても、そのうちに「あー、生きててよかった」などと思わせてしまうような刑務所暮らしになってしまわないだろうか?ということである。
 「死にたい」と思っていた奴が、一生償いの気持ちから解き放たれることがないように、終身刑、仮釈放なし、他人との接触を断たせる、もしくは、他人と接触し続けるとか、そういった刑罰を科せるようにならないと、ただ「生かす」ことも、あまり償いにならないような気がするが、そのあたり、今の日本でうまくいくのだろうか。

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