同じ日に、女性関連二題。2010/10/03 20:09:14

 アジア太平洋経済協力会議(APEC)中小企業相会合の関連会議として1日に岐阜市で開かれた「女性起業家サミット」の昼食会で、経済産業省の中山義活政務官(65)が、「日本の女性は家庭で働くことを喜びとしている」などと発言。簡易ブログ「ツイッター」で女性たちの批判が集中した。
 中山政務官は女性の社会参加推進を強調する一方で、日本女性が家庭で働くことを「文化だ」と発言。さらに「日本の奥さんは力がある。デパートに行けば、初めに子どものもの、次に奥さんのもの、その次がペットのもの。4番目にご主人のものを買う」などと語った。直後から「日本への評価が下がる」などと批判の書き込みが続いた。
 中山政務官は2日、毎日新聞に「女性が十分に家庭で働いているという事実を言っただけ。差別するつもりはない」と説明した。
(2010年10月3日毎日新聞朝刊より)



 “バカだねぇ”くらいの感想しかないのだけど、もう一言言うとしたら、“なんか言っていることがずれまくってるなぁ”というとこでしょうか。
 結婚していた頃も、私は「家庭で働くことが喜び」なんかではなかったけれど、日本の女性で、“家庭で働くことが喜び”である人って本当にいるんだろうか?
 私が大嫌いなソーシャル・パラサイトらですら、仕事をしたくない、とか、“家庭を大事にする私って偉い”なんて勘違いをしているとしても、喜びまで感じている人っているのかなぁ。
 それに、買い物の順番は、その人の大事なものの順番であって、文化(家庭で働くことって文化?)でも、喜びの結果でもないでしょう?

 彼が発言している内容を全部聞いていたとしても、このピックアップされてしまった内容がきちんと起承転結のある話になっていたとは到底思えない。
 となると、反応することすら無駄な話題だね。
 とはいえ、よりによって「女性起業家サミット」で発言するなんて、TPOをわきまえないにもほどがある。この程度の政務官しかいないのだとしたら、そのほうが「日本の評価が下がり」ますな。



 今年の大相撲初場所限りで現役を引退した元大関・千代大海の佐ノ山親方(34)=本名・須藤龍二、九重部屋=の断髪式が2日、東京・両国国技館であった。(中略)
 佐ノ山親方は故郷・大分から92年に角界入りするまでツッパリ少年だった。それだけに苦労をかけた母美恵さん(67)を断髪式に招き、女人禁制で土俵に上がれない美恵さんのため土俵下まで降りてはさみを受けた。(後略)
(2010年10月3日毎日新聞朝刊より)



 これ以上のことは、記事にはなかったのだけれど、この話は何が言いたかったのか?
 美談、だとしたら、中途半端だよねぇ。
 女性差別の最たるものである角界で、「苦労をかけたお母さん」を土俵にあげる勇気を持たず、土俵を下りて「切って、切って」なんてただの甘えんぼだろう。
 断髪式の記事だったのだから、それでいいのだろうけど、事実だけ伝えたいのだったら、タイトルに意味ありげなこと書かずに、「お母さんにも切ってもらいました」だけにしたほうがよかったのではないかな、毎日新聞さん?

絶対だめだよ、聖子ちゃん。2010/10/11 20:38:01

 50歳にして、体外受精によって妊娠した野田聖子ちゃん。
 以前から、ずっと不妊治療をしていてうまくいかず、閉経しても尚、なんとかして子どもを作り出そうとしたその根性には頭が下がるが、彼女の発言は、許しちゃいけないと思う。

 不妊治療を何とかして、当人たちの負担を減らすために、体外受精(それも他人の卵子で!)やら、代理母やらを日本にも持ち込もうとする運動なんて、何としてもやめさせないと!
 「私は、他人の卵子でありながら、自分で産むために“自分の子”として扱われるのに、向井亜紀が他人に産んでもらっただけで“自分の子”として扱われないのはおかしい」なんて、断固として認めさせてはならない!

 彼女は、もう少し大人かと思っていた。でも、向井亜紀らと同類だったなんて、がっかりだ。
 それでも、彼女は自分で産むからまだいい。万が一何かあっても、傷つくのは自分自身だけ。
 でも、代理母を使う輩は、何があっても自分自身は傷つかない。自分の欲望のために、他人を犠牲にして何とも思わない輩なんだから、それを同等に扱おうとするのは無理だろう。

 どちらにしろ、“子供を(自分自身で)作り出そう”とする奴らを、許してはいけない。
 彼らは、誰かに無理強いされているわけじゃない。子供を“自分自身に”授かることができなかっただけ。
 なのに、「それなら、他人の子を育てよう」というならともかく、「それなら、(何がなんでも)子どもを作り出してしまえ」という考えを、どうして許せるのか、私には理解できない。
 日本は少子化なんかじゃないよ。どれだけの子どもが中絶され、生まれ出ても、虐待によって殺されたり、捨てられたりしているか。
 その子らを救おうとするのではなく、「他人を使ってでも“自分の”子どもを作りだそう」などとするなんて、どうして許されるのか?

 不妊治療よりも、望まれずに生まれ出ようとする子どもに手を差し伸べること、その施策を考えるのが政治屋の仕事でしょう?
 聖子ちゃん、今のあなたは、政治屋の立場を忘れて浮かれているのだろうけれど、人として許されないことをする前に、まず自分の仕事をしましょうよ。